<Header>
<Author: 白居易>
<Title: 新樂府 新豐折臂翁	戒邊功也>
<Format: 格式不明>
<Year: 2011>
<BookName: 白楽天詩選（上）>
<Translator: 川合康三>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 新豊（しんぽう）の臀（うで）を折（お）りし翁（おう）  辺功（へんこう）を戒（いまし）むるなり >
<BookPage: 144>
<UsedPage: 1>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
新豐老翁八十八，
頭鬢眉鬚皆似雪。
玄孫扶向店前行，
左臂憑肩右臂折。
問翁臂折來幾年，
兼問致折何因緣。
翁云貫屬新豐縣，
生逢聖代無征戰。
慣聽棃園歌管聲，
不識旗槍與弓箭。
無何天寶大徵兵，
戶有三丁點一丁。
點得驅將何處去，
五月萬里雲南行。
聞道雲南有瀘水，
椒花落時瘴煙起。
大軍徒涉水如湯，
未過十人二三死。
村南村北哭聲哀，
兒別爺娘夫別妻。
皆云前後征蠻者，
千萬人行無一迴。
是時翁年二十四，
兵部牒中有名字。
夜深不敢使人知，
偷將大石搥折臂。
張弓簸旗俱不堪，
從茲始免征雲南。
骨碎筋傷非不苦，
且圖揀退歸鄉土。
此臂折來六十年，
一肢雖廢一身全。
至今風雨陰寒夜，
直到天明痛不眠。
痛不眠，
終不悔，
且喜老身今獨在。
不然當時瀘水頭，
身死魂孤骨不收。
應作雲南望鄉鬼，
萬人冢上哭呦呦。
老人言，
君聽取。
君不聞開元宰相宋開府，
不賞邊功防黷武。
又不聞天寶宰相楊國忠，
欲求恩幸立邊功。
邊功未立生人怨，
請問新豐折臂翁。
<End Poem>
<Translation>
新豊の町で見かけたおじいさん、年は八十八。髪も眉もひげも雪のように真っ白。
やしゃごが支えながら店の前を歩いて行く。左腕でやしゃごの肩にもたれ、右腕は折れている。
おじいさんに尋ねる、「腕が折れてどれほどたつのか。も一つ聞くが、折れたのはどんなわけがあったのか」。
おじいさんが言う、「わしは新豊県のもの。めでたい御代に生まれ合わせたおかげで、いくさなどありはしなかった。
耳にするのは歌舞音曲ばかりで、槍だの弓だの見たこともない。 やがて天宝の大徴兵、一軒に三人の男がいれば一人は兵に取られる。
点呼してどこへ行かされるかといえば、万里のかなた、真夏の雲南の地。
聞けば雲南には瀘水という川があって、山椒の花散る時期には毒ガスが湧く。
軍隊がかち渉る水は熱湯のように熱く、渡り終えるまでに十人のうちの二人、三人は死んでしまうとのこと。
村の南、村の北、どこもかしこも悲しい泣き声に包まれ、子は父さん母さんに別れ、夫は妻に別れを告げた。
みなが言うには、後にも先にも南蛮に出征した何千何万うち、戻って来た者は一人もおらん。 
この時、老いぼれもまだ二十四の若者。兵部の召集令状に名前がのっていた。
深夜、誰にも気づかれぬよう、ひそかに大きな石を振り上げて腕をへし折った。
弓を射ることも旗を掲げることもできぬ体となって、こうして雲南出征から免除された。
骨は砕け肉は傷つき痛くないわけはないが、まずは徴兵を免れて郷里に帰るが先。
腕をへし折って六十年、腕一本はだめにしても体そのものはなんともない。
今でも雨風つのる冷たい夜には、痛んで朝まで眠られぬ。
痛んで眠れなくても、後悔などしてはおらん。
どころか喜んでおる、この年までわし一人無事生き永らえたことを。
そうでなければ、あの時、瀘水のほとり、息は絶え魂さまよい葬られもせず、遥か雲南に望郷の霊となって、万人塚で働哭しておったはず」。
この老人の話を、よく聴きなさい。
開元の宰相宋璟は、いたずらに武に逸らないようにと辺功を賞しなかったというではないか。
そしてまた、天宝の宰相楊国忠は、天子の寵を得ようと辺功を焦り、功も立てられずに世の怨みを買ったというではないか。
どうか新豊のおじいさんに直接尋ねてみられよ。
<End Translation>
<Formatted Translation>
新豊の町で見かけたおじいさん、年は八十八。
髪も眉もひげも雪のように真っ白。
やしゃごが支えながら店の前を歩いて行く。
左腕でやしゃごの肩にもたれ、右腕は折れている。
おじいさんに尋ねる、「腕が折れてどれほどたつのか。
も一つ聞くが、折れたのはどんなわけがあったのか」。
おじいさんが言う、「わしは新豊県のもの。
めでたい御代に生まれ合わせたおかげで、いくさなどありはしなかった。
耳にするのは歌舞音曲ばかりで、
槍だの弓だの見たこともない。 
やがて天宝の大徴兵、
一軒に三人の男がいれば一人は兵に取られる。
点呼してどこへ行かされるかといえば、
万里のかなた、真夏の雲南の地。
聞けば雲南には瀘水という川があって、
山椒の花散る時期には毒ガスが湧く。
軍隊がかち渉る水は熱湯のように熱く、
渡り終えるまでに十人のうちの二人、三人は死んでしまうとのこと。
村の南、村の北、どこもかしこも悲しい泣き声に包まれ、
子は父さん母さんに別れ、夫は妻に別れを告げた。
みなが言うには、後にも先にも南蛮に出征した何千何万うち、
戻って来た者は一人もおらん。 
この時、老いぼれもまだ二十四の若者。
兵部の召集令状に名前がのっていた。
深夜、誰にも気づかれぬよう、
ひそかに大きな石を振り上げて腕をへし折った。
弓を射ることも旗を掲げることもできぬ体となって、
こうして雲南出征から免除された。
骨は砕け肉は傷つき痛くないわけはないが、
まずは徴兵を免れて郷里に帰るが先。
腕をへし折って六十年、
腕一本はだめにしても体そのものはなんともない。
今でも雨風つのる冷たい夜には、
痛んで朝まで眠られぬ。
痛んで眠れなくても、
後悔などしてはおらん。
どころか喜んでおる、この年までわし一人無事生き永らえたことを。
そうでなければ、あの時、瀘水のほとり、
息は絶え魂さまよい葬られもせず、
遥か雲南に望郷の霊となって、
万人塚で働哭しておったはず」。
この老人の話を、
よく聴きなさい。
開元の宰相宋璟は、
いたずらに武に逸らないようにと辺功を賞しなかったというではないか。
そしてまた、天宝の宰相楊国忠は、
天子の寵を得ようと辺功を焦り、
功も立てられずに世の怨みを買ったというではないか。
どうか新豊のおじいさんに直接尋ねてみられよ。
<End Formatted Translation>